once upon a time

昔の思い出を、振り返って

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老人の格言

1995年12月18日月曜日

13:30 ANA NH179便 大連に到着

機内で「人は夢、人は宝」松田食品の社長の本を読んだ。

親父の知り合いで、今回大連の工場を視察する為飛行機に乗った。

 

大連周水子空港に到着、入国審査の前にビザを申請、写真を用意していたのに

写真は預入荷物の中だった。

入国検査をした後でないと荷物が受け取れないシマッタ。

別室に連れていかれ、インビテーションは持っていると説明すると問題なくビザの判子を押してくれた。

 

空港を出ると、吉村社長が直々に迎えに来てくれた、秘書の劉さんも一緒だ。

劉さんが社長に声を掛けるとき、総経理と言っていた。

 

車に乗って空港からホテルへ向かう

車の中から眺める大連の町並みは何かノスタルジックな感じを漂わせる風景が続く。

ホテルは大連賓館ルームNo406

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大連賓館

歴史あるホテルのようで、天井が高く部屋も広い、私にはもったいない良いホテルだ。

荷物を置いて、吉村社長達が待つ車に戻ろうと廊下を走ると、服務員に呼び止められる。

「急いでどこに行くんだ」と言ってると思われるが、言葉が分からない。

多分そういってると思うが、もしかしたら走るなと言われたかも。

 

吉村社長が待つ車に乗り込み、社長がまずは市場を見ようと運転手に声をかけた。

市場に付くと、中は広く人が沢山いて活気があり楽しい。

冬なのに大きなスイカが3元で売っていた、南から運ばれてきたらしい

中国はやはり広い!

 

市場を出て車に乗り工場へ

工場は干瓢の工場でこの工場が機内で読んだ、松田食品の工場だった。

大変手間をかけて製造してるのを見て、すごく関心したと言うか、これからかんぴょうを食べるときは必ず思い出すだろうと思った。

 

工場長の奥さん劉さんが日本語がとても上手で夜一緒に食事をすることになった。

社長が今晩は予定があり同席出来ないと言うので、気を使ってもらって申し訳ない気分だったが、大連一日目一人で夕食は寂しいのでお言葉に甘えました。

 

夜部屋に劉さんが迎えに来て、下のレストランでお腹一杯ご馳走になり

夜の街を案内すると言われたが、劉さんは家族がいるので早く解放してあげようと

丁寧にお断りをして解散しました。

 

部屋で今日の整理をしていると、窓からにぎやかな音が聞こえたので覗いてみると

目の前の公園に人だかりが、着替えて見に行くと

公園の真ん中で音楽をかけて沢山の人がダンスを踊っていた。

なんか中国のイメージが違った。

 

周りには夜店も出ていて、夜店を覘くとピストル型のライターが売っていて

俺も馬鹿だからついつい面白がって買ってしまった。

(このお土産が後々大変な事になるとはつゆ知らず)

ピストル型ライター30元コーラ3.5元、中国に来て初めてお金を使った。

 

ベンチに座り、ダンスを見てぼんやりしていると一人お爺さんが横に座った。

座る時に「どっこいしょ」と言った、え!今の日本語じゃない

 

公園の周りには街灯がないので夜で暗く、車のライトが当たると見える状態の中

お爺さんにライトが当たりはっきりと老人だと確認ができた

「日本人ですか?」と声を掛けてきた。

はいそうです

「若いのに旅行で来られましたか」

はいそうです、え!日本語話せるんですか?

少し話せます、昔はここは日本でしたから、老人はみな日本語話せますよ。

そうなんですか

「大連は何日目ですか」

今日来たばかりで、3日滞在します。

「それから日本に帰るのですか」

いえ、ビザがある限り中国を旅してまわろうと思っています。

若い時に見聞を広める事は良い事です、気を付けて旅をしてくださいね

あ、ありがとうございます

その後何を話したか覚えていないです。

 

(見聞をのフレーズだけは心に響いて今でもお爺さんの声が聞こえるようです

歳を取って、見聞広められなかったな~と思った。)

 

寒い中お爺さんと話をして、部屋に戻り大連一日目が終わりました。

 

 

 

 

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